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イタリア町めぐり

山の上にあるエンナの町 地図

 

 駅のホームから見上げると、エンナの町ははるか山の上にあった。バスの時刻を調べたいが、駅前には売店の1つすらない。太陽は頭の真上にあり、真夏の光線は肌を刺すように感じられた。
 茫然としていると、そばに止まっていたタクシーの運転手が寄ってきた。たしか、1000円か1500円くらいの値段を言われただろうか。
----まあ、あの山の上まで登っていくんだから、そのくらいはしかたないか……。

 話がついてタクシーに乗ると、助手席に先客がいるではないか。横顔しか見えないが、年のころなら20代なかばといった、いかにも北方ヨーロッパ系の女性である。
「この娘さんを先にホテルに連れて行くけど、いいかい。方向が反対なんだけどね」
「かまわないよ」と、私は答えた。もとより時間はたっぷりあるし、同じ値段で町の反対側まで見物できるのならば、好奇心の旺盛なヒマ人には大歓迎である。

 こうして、イタリア人の中年運転手、北欧系の若い女性、東洋人の元青年という、何とも不思議な3人が乗り込んだタクシーは、駅を背にして走り出したのである。


町はずれのCastello di Lombardia(ロンバルディア城)から見たエンナの市内。

*画面にポインタを合わせると、夕暮れの景色に変わります。

2000.9

エンナの町を望む


タクシーは、エンナの町がある山のふもとをまわり込み、山の反対側に向かっていった。
「お嬢さん、ホテルは湖の近くだって?」と、運転手が沈黙を破ってイタリア語でたずねた。
「うん、昔、学校の合宿で来たことがあるの」
彼女は、片言のイタリア語で答える。
「近くまで行けばわかるけど……」

会話を聴いていると、どうやらスウェーデン人らしい。だが、どうも彼女の言っていることが要領を得ない。2人は、何度もここじゃない、あそこかもしれないなどと言っていたが、ようやくそれらしいホテルが見つかったようだった。湖の近くにある冴えないホテルである。なぜ、こんなところに泊まりたいのか、理由がよくわからない。
「やれやれ」
彼女の後ろ姿を見送った運転手は、ため息をついていた。

2、3分ほどすると、彼女はホテルから出てきた。タクシー代を払いに来たのかと思ったら、「ここじゃないわ」という。しかたなく、またタクシーは3人を乗せて走り出したのである。


急な坂を登る老人

山の上にある町だから坂が多く、年配の人は大変である。このご老人も、杖をつきながら、ゆっくりゆっくり坂を登ってきた。

2000.9



「ところでお嬢さん、あしたはどうするんだい」
「うーん……」
 しばしの沈黙のあとで、彼女は答えた。 「ピアッツァ・アルメリーナに行くのよ。バスはあるのよね」
 ピアッツァ・アルメリーナといえば、古代ローマ貴族の別荘跡で有名な町である。まだ行ったことはないが、その別荘跡には素晴らしいモザイクの床が残っているという。
「あるけれど、本数が少なくて不便だよ。よかったら、明日の朝ホテルに迎えに行ってあげるから。往復で****リラでどうだい」
「うーん……」と彼女は考え込む。

 文章に書くとスムースに会話が進んでいるように思えるが、なにしろはっきりしない女の子である。ここまでたどりつくのに、だいぶ時間がかかった。思うに、なるべく安くあげたいという気持ちのほかに、この運転手に対する警戒心があったに違いない。
 だが、彼の名誉のために付け加えておくと、この運転手はごくふつうのイタリア人である。とくに品がないとかいやらしいということはなかったのだが、南部のイタリア人特有のなんともいえない微妙な人なつこさが、北欧人である彼女に受け入れられなかったのだろう。
 と、そんなことを考えていたら、助手席にいた彼女がいきなり後ろを振り向いた。


エンナの町の北側からは、美しいCalascibetta(カラーシベッタ)の町が見える。高速道路と国鉄(FS)は、この二つの山の谷間を走っており、エンナ駅は二つの町のほぼ中間点にある。

*画面にポインタを合わせると、夕暮れの景色に変わります。

2000.9

カラーシベッタの町を望む


「ねえ、あなたもいっしょにピアッツァ・アルメリーナに行かない?」
 私に向かって英語で聞いてきたのである。正面から見ると、またかわいい。薄手の白い服がよく似合っている。
「うーん……」
 こんどは私が考え込む番であった。

 というのも、あとイタリアにいられるのは3日間だけなのだ。すでに、翌々日の朝にカターニャを出る飛行機を予約している。
----しかし……と私は思った。この子と1日いっしょにピアッツァ・アルメリーナめぐりをするのも悪くないなあ……まあ、この運転手もいっしょだけど……。
 だが、山岳都市と町歩きが好きな私にとって、エンナとその周辺の散歩にはまるまる一日とっておきたかった。

----でも、こんなチャンスはめったにないぞ。おまけに、「あら素敵な方、あなたといっしょにシチリアを回りたいわ」てなことになるかも……。でも、それじゃ、帰りの切符が無駄になるし……。いやいや、こんないい話を断るのはもったいない……。ああ、でもでもでも……。

祭りに繰り出す人びと 教会前の大混雑

この日はたまたま町の祭りであった。日が落ちると、どこにこんなに人がいたのだろうかというほどの人が繰り出してきて、町の中心部にある教会に出たり入ったりしていた。
  2000.9


 久しぶりに脳の神経を活性化させること約1秒間。私は決断し、下手な英語で答えた。
「残念だけど、エンナの町を歩きたいんだ」
「あら、そう……」
 彼女は悲しそうな表情を見せた……と私には思えた。

 それにしても、である。実は、わずか4か月前に、私は結婚したばかりなのであった。そうでなければ、お調子者の私は「イエス」と答えていたかもしれない。
 なにしろ、このときの旅行の前半は、妻とはじめての旅行----世間では新婚旅行と呼ぶ行事だったのだ。ところが、旅行の直前に妻に仕事が入ってしまい、彼女はミラノとヴェネツィアに4泊5日しただけで帰国。一方、私はイタリアに残り、気ままなシチリア一人旅を満喫していたというわけだ。

 結局、北欧の美少女は、翌朝このタクシーに迎えにきてもらうことになったようである。さらに、「やっぱり、さっきのホテルだったかも」といって、途中で車をUターンさせ、さきほどのホテルの前で降りていった。
「なんだかよくわからないね」と運転手。私も「うーん、よくわからん」と答えてから、エンナの町の中心部にあるホテルの名を告げた。
 タクシーはもと来た道をもどっていく。そして、私はといえば、窓の外にエンナの山を見ながら考えていた。
----人生の転機っていうやつは突然訪れて、一瞬の決断を求めるんだよなあ……。もし独身で、「イエス」なんて答えていたら、ちょっと人生が変わっていたかもね。そう考えると、本当に「縁は異なもの」だなあ……うん? エンナ? ……「エンナ異なもの」……か。


●所在地
シチリア州エンナ県(県都)
●公共交通での行き方
・カターニャからのバスは1日約10往復。所要約1時間20分。
・鉄道はパレルモ、アグリジェントから、それぞれ直通が1日に3~5往復。どちらも所要約2時間。ただし、エンナ駅からは市内まではsais社のバスが1日数往復。

●見どころ
・「シチリアの展望台(Belvedere di Sicilia)」の名にふさわしい見事な眺め。
・ギリシャ人、ローマ人、アラブ人、ノルマン人と、ここを支配した人びとが残したもの。とくに、アラブ風の路地とノルマン風の塔や城が見もの。

●老婆心ながら
エンナの海抜は931m。これは、イタリアの県庁所在地でもっとも高いのだそうだ。
長距離バスが通る道中心部からだいぶ下った地点。長距離バスはここを通る。
  2000.9

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