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まだ20代前半だった私にとって、フィレンツェの町はおもちゃ箱のようなものだった。毎日、学校が終わると、狭い旧市街をたっぷりと時間をかけて散歩するのを日課としていたのだが、いくら見ても飽きることがなかった。
そんな晩秋のある日、いつものように夕方の散歩に出かけたときのことである。
さてどうしようかと足を止め、ふとあたりを見回すと、橋に向かってイーゼルを立てている人の後ろ姿が見えた。
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| ポンテ・ヴェッキオの夜景。その「おじさん」は、この橋の姿を毎日毎日描いていたのである。 撮影 : 1996/06 Firenze
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「ああ、あの人は有名らしいんですわ」 のちに私の安下宿に転がりこむことになった、語学学校の同級生S氏は、私の報告にこう答えた。 「もう何年もポンテ・ヴェッキオばかり描いているらしくて、ビザが切れて強制送還されても、またいつのまにか舞い戻ってくるんだそうですよ。で、とうとうイタリア政府もさじを投げて黙認してるんだとか」 どこからそんな情報を仕入れてくるのか、S氏はまるで見てきたかのようにこう言った。そして、最後にひと言付け加えた。 「日本人の団体旅行者が近くに寄って覗き込んだり、話しかけたりすると、黙って道具を畳んで帰ってしまうらしいんですわ」
S氏の話は、いまとなっては事実かどうかわからない。でも、純情だった駄菓子青年はその話を信じた。なんとロマンチックな話ではないか。
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サン・マルコ修道院の壁に描かれた、フラ・アンジェリコの名画『受胎告知』。 まわりに人がだれもいないときに見るこの絵は、実に神々しい。 撮影 : 1981/11 Firenze |
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はじめておじさんを目にしてから、2か月ほどたったある日のことである。S氏と2人でフィレンツェの町なかを散歩していると、向こうからそのおじさんがゆっくりと歩いてくるのが見えた。私はなぜか知らず全身に力が入った。
緊張していたのは、私だけではなかったようだ。S氏は、満面に笑みをたたえてこう言ったのである。
やがて冬が来て、おじさんの姿を見かける回数も少なくなっていった。年が変わって私は日本に帰ってきたが、フィレンツェのことを思い出すたびに、あの人はきょうも橋のほとりで絵を描いているのかなあと、ちょっぴり気取って空を見上げるのであった。 | |
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