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私が住むことになったフィレンツェの安下宿には、家主であるおばさんの姪も住んでいた。これが、また、おばさんとは似ても似つかぬ超美人なのである。 めったに顔を合わせることはなかったのだが、健康的な美しさに満ちあふれていて、気立てもよい(……と思う)人だった。ひと昔前のイタリア映画の女優を思わせる美貌は、安下宿にはもったいないとさえ思われた。
まあ、そうこうしているうちに語学学校もはじまり、私は充実した留学生活を送ることになる。語学学校の授業がどんなものだったかは、そのうちに書くことになるだろうが、とにかく楽しい日々であった。
こうして、男二人のむさ苦しい生活がはじまったのだが、私より一つ年上の彼も、おばさんの姪の美しさにはぞっこんであった。
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| ドゥオーモ横にあるジョットの鐘楼。S氏は、この正面(写真でいうと左側)に住んでいた。鐘の音がうるさいはずである。 撮影 : 1985/09 Firenze
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ところで、学校では中級クラスを選択した。日本でイタリア語を少しやっていたからなのだが、これが大間違いであった。FUNGHIが何であるかも知らなかった私にとって(「フンギ殺人事件の巻」をご覧ください)、これは身のほど知らずの選択であった。 クラス分けテストの結果、当然のことながら、中級クラスのなかでも最低レベル(としか思えない)の教室に割り当てられることになる。 とはいえ、結果としてはこれでよかった。分不相応なクラスに行くよりははるかにいいし、なにしろ先生は若い女性であった。私とほとんど年が変わらなかったかもしれない。そして、授業中に「ボラ~レ」などとみんなでカンツォーネを練習する気楽さは、私にぴったりであったといえよう。
ただ、会話だけはちゃんとやりたいと思った。となると、どういうことを聞かれても反射的に反応できなくてはいけない。そこで私は、学校で学んだことをもとにして、日夜繰り返し練習に励んだのである。
部屋にノックがあったときの返事も習った。
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イタリアでは、このように犬でも車を運転する……というのはもちろんウソである。 そーっと近寄って、やっとのことで写したのだ。 撮影 : 1981/11 Firenze |
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そんなある日の朝、安下宿の部屋で私たちが着替えをしていたときのことである。すでに私は着替えを終わっていたが、S氏がまさにズボンを脱いだというその瞬間であった。部屋のドアをトントンとたたく音がするではないか。
「もう、情けないところを見られてしもうたやないか。ダガシくん、こまるよ~」
ところで、S氏とは、日本に帰ってきてから1回会ったきりである。そのあいだに、神戸には震災があった。いまごろどこでどうしているのやら。
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