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夕食をどこでとるかは、いつも苦労していた。 貧乏学生ゆえ、めったにレストランなどは行けない。 学生食堂(メンサ)は、夜もやっていたかどうかは知らないが、あんな陰気な場所は昼に行くだけで十分であった。 で、セルフ・サービスのレストランあたりが妥当なのだが、それでも、ちょっとまともに食べたいときには、イタリア国鉄職員のための食堂に行った。 やはりここも「メンサ」と呼ばれ、一般の人たちも自由に入れるところである。場所は、フィレンツェ駅西側の狭い道をはいった目立たないところにあった。
実は、フィレンツェに着いてはじめての夕食は、このメンサでとったのである。というのも、日本で買った『ヨーロッパを1日3000円で旅行する』とかなんとかいう、安宿や安レストラン情報が載ったガイドブックに書いてあったからなのだ(*これはアメリカだかドイツだかで出された本の翻訳で、装丁や構成を思い出すに、すぐあとに出た『地球の歩き方』のタネ本なのかもしれませぬ)。
で、ここまで書いて思い出したが、イタリア語の勉強のためにフィレンツェにやってきて、一般の町の人と交わしたはじめて会話というのが、このメンサの場所を尋ねるものだったのである。
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| フィレンツェでは、おじさんもカッコよかったが、おばさんもまた、背筋をピンと伸ばしてカッコよく闊歩していた。 撮影 : 1981/10 Firenze |
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国鉄メンサは、建物の奥にあって薄暗いところだったが、学生メンサとはちがって活気があった。しくみはセルフサービス・レストランと同じで、味はまあまあ。少なくとも学生メンサよりは、はるかにうまかった。 値段は、ひととおり取ると5000~6000リラになり、当時のレートでは1000円近く。貧乏学生にはちょっとばかりキツい値段ではあった。
ここは、1つのテーブルに4人。こんでいるときは、知らない人と同席になるので、ちょっとした会話の練習にもなった。
ある日のことである。メインの料理で魚を食っていたら、正面に座ったイタリア人のおじさんが話しかけてきた。
すると、私たちの会話に聞き耳をたてていた周囲のおじさんやおばさん数人が、いつのまにかじりじりと私たちのテーブルに、にじり寄ってくるではないか。見るからにヒマそうな人たちである。
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アルノ川夕景。ポンテ・ヴェッキオが夕暮れにしずんでいくのであった。 撮影 : 1990/08 Firenze |
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そして、さまざまな質問に私が答えるたびに、みんなはふむふむとうなずいたり、顔を見合わせたりするのであった。 こうして、国鉄メンサを舞台にした文化交流のひとときは終わり、駄菓子青年は日本人の評判を上げたことに満足しつつ、満たされた腹をかかえて家路についたのであった。
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