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駄菓子のイタリア無駄話目次
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 フィレンツェから離れる日が近づき、やり残したことはないかとあれこれ考えているうちに、ふとヴェルディおじさんのことを思い出した。帰る前に、一度あいさつでもしてこようかなと考えたのである。
 ボーボリ庭園に散歩に行ったメンバーのうち、ほかのイタリア人とはその後会うこともなかったのだが、なぜかヴェルディおじさんとは町の中で何度か顔を合わせる機会があった。コンサートの帰りにたまたま会ったときには、夜のアルノ川沿いを、文化論から食い物の話まであれこれと語り合いながら帰った仲である。

----ヴェルディおじさんは靴屋だって言っていたから、ついでに靴の一足でも買ってこようかな。喜んでくれるかもしれないぞ。
 調子のいいことを想像しつつ、安下宿の朋友であるS氏に、ヴェルディ靴店訪問の計画を告げた。すると、S氏からは意外な答えが返ってきたのである。
「そうか。それはいいけど、あの人はレジーナに気があってなあ……」
 レジーナというのは、私たちの朝の学校に来ていたフィリピンの女の子である。前にも書いたことがあるけれど、警察官僚の娘で才色兼備の子であった。自分の国では日ごろからスペイン語を使っているそうで、イタリア語はペラペラ。私たちなど足もとにも及ばなかった。
 しかし、そんな彼女は、なぜか学期が終わるのも待たずにフィリピンに帰ってしまったのである。
サンタ・クローチェ教会前 「でも、レジーナは帰っちゃったんでしょ」
「そうなんや。でも、ヴェルディさんはまだ知らないはずやろ。レジーナも有難迷惑みたいだったし、あいさつしていったとは思えんからなあ。帰ったことを知ったら、あのおじさんがっかりするでー」
「まあ、ヴェルディおじさんは、そんなことをわざわざボクに聞くことはないでしょ。とにかく行ってきますね」
 それにしても、S氏と私は一日の大半を同じような場所で過ごしているのである。いつのまに、そんな詳しい情報をつかんでいたのか、いまだに不思議でならない。

サンタ・クローチェ教会の近くには小さな店が立ち並び、庶民的な雰囲気を残していた。
撮影 : 1981/11 Firenze


 ヴェルディおじさんの店は、サンタ・クローチェ教会近くの路地にあると聞いていた。行けばすぐにわかるという話の通り、広い道から「ヴェルディ靴店」という看板が見えた。こぢんまりとした、古い小さな店である。
 店のドアを開けると、薄暗い店の端にヴェルディおじさんが座っていた。
「おじさん、こんにちは」
「おお、あんたか」
 上目づかいでこちらを見たヴェルディおじさんは、背を丸めて座っているためか、これまでになく小さく、そして年取ってみえた。
「もうすぐ日本に帰るから、その前にあいさつをしようと思って……」
「ほう、そうかい」
 もっと感激してくれるかと思っていたのだが、仕事から手が離せないのか、いやにそっけない。
 間が持たないので、私は周囲を見渡した。すると、店に飾ってある靴は女ものばかりであることに気がついた。そう、ヴェルディ靴店は女性専門だったのだ。
----参ったなあ、おみやげに買っていくっていってもなあ……。おまけに、色もデザインもちょっとやぼったいぞ。

 ぼーっと立っていると、ヴェルディおじさんが口を開いた。
「ところで、最近レジーナを見かけないけれど、どうしたか知ってるか? おまえは同じ学校なんだろう」
 私は絶句した。私がわざわざ別れのあいさつに来たというのに、おじさんは彼女のことのほうが気がかりだったのである。しかも、私とレジーナが同じ学校だなんていうことは、どうせS氏から聞いたんだろうが、よく覚えていたものである。
 驚きあきれはしたが、何よりも正直が取り柄の駄菓子青年である。ちょっぴりためらったが、ウソを言うことはできなかった。
「あ、あのー、帰りましたよ、フィリピンに……」
 すると、ヴェルディおじさんの表情が見る間にくもった。
「帰った? 知らなかったなあ……」と言ったかと思うと、あとは小さな声で何やらぶつぶつとつぶやくばかり。その姿は、いつもの陽気なヴェルディおじさんではなかった。私は、もう居たたまれなくなってきた。
「じゃあ、おじさん、さようなら」
 それだけ言って店を出た。

バールの外から、警察官もいっしょになってサッカーの中継を見ている。
撮影 : 1996/07 Firenze
サッカー中継に見入る人びと

 それにしても、おじさんはすでに六十すぎ、レジーナはまだ二十歳前であったはずである。そんなに彼女のことを思い詰めていたのだろうか。それとも、たまたまその日は虫の居所が悪かったのか、いまでは確かめるすべもない。

 ちょっぴりほろ苦い経験だったからか、その後は、ヴェルディおじさんのこともほとんど忘れていた。だが、1996年に両親とともにフィレンツェを訪ねたときのこと、最後の日の夕方になって急に15年前の出来事が甦ってきた。
----会ったとしても、覚えているはずはないだろうけど、せめて店の場所だけでも見ておきたいなあ。
 記憶もあやふやになっていたが、とにかく薄暗くなった町の中を一人であちこち探してみた。が、どうしても見つからない。
 よく考えれば、生きていたとしてもヴェルディおじさんは八十歳前後。店を閉めて隠居してしまったとしても不思議ではないだろう。30分ほど探したが、とうとう店を尋ね当てることはできなかった。
 時はあたかも、ヨーロッパ各国対抗のサッカーの真っ最中。横丁のバールでは、人びとがテレビの前に陣取ってイタリアチームに声援を送っていた。そんな声を耳にしながら、私は15年も前のヴェルディおじさんの不機嫌そうな顔を思い出していたのである。




 


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