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駄菓子のイタリア無駄話目次
前ページへ 異国での邂逅の巻(下)

「もう、さっきから呼んでいるのに……。シルエットですぐにわかったわよ」
 大学の同じ研究室にいたY嬢であった。
 目がぱっちりとして、いつも元気、そしてちょっと色っぽい彼女は、研究室にいるだけで周囲を明るくしてくれた。同級生ではあるのだが、私が浪人して留年した分だけ、彼女が年下であった。

「あれ、なんでこんなところに?」
 彼女がイタリアにいるらしいと話には聞いていたが、まさかフィレンツェにいるとは思わなかった。在学中のイタリア夏期短期留学の折に、イタリア人のおじさん弁護士に見初められて、大学卒業と同時に南部の小さな町で暮らしているはずであった。
 もしかすると、私がフィレンツェにいることを聞きおよんで、あとを追ってきたのかも……と一瞬のうちに都合のいいことを思った駄菓子青年である。

ドゥオーモの頂上から、サンタクローチェ教会の方向を見る。

撮影 : 1985/11 Firenze
サンタクローチェ教会


「それがさあ、カレにイタリア語を習いにいけと言われてね、来たのよ」
 私はちょっとがっかりした。
「ふうん、どこの学校に行ってるの?」
「××だけどさあ……」
 それは、イタリアの歴史的な作家の名を冠した語学学校であった。
「そこの校長に好かれちゃってねえ、この前も2人でドライブに行ってきてさあ。ちょっとしたスカンダロで大騒ぎよ」
 彼女は、うれしそうな顔をして言った。私はといえば、「スカンダロ」がスキャンダルという意味の単語であろうということが即座に理解できて、それなりにうれしかった。
「ふうん、相変わらずだなあ。こっちは、同級生の男と安下宿で同居だよ」
「あら、でもいいじゃないの。イタリアの女はキツいからダメよ」
 自分のことを棚にあげて、勝手なことをいうのはY嬢の得意であった。

 大学時代、彼女と私とは気があって、よく大学の内外でいっしょに遊んだものだった。もっとも、二人きりで行動するよりも、四角い台を前にして、4人で小さな直方体の物体をもてあそんでいる時間のほうがはるかに多かった。
 ごく一部には、二人は特別な仲ではないかと思われていたようだが、いっこうにそのようなことはなかった。あまりにも相手を知りすぎると、恋人にはなれないのである。
 それでも、麻雀で大勝ちした金を元手に、二人で横浜の中華街に繰り出し、たらふくウマいものを食べてくるくらいのことはあった。
 そんなY嬢と、フィレンツェ滞在最後の日に会うとは、偶然にしてもできすぎである。
「それにしても、きょう会うとはね……。もう、あしたフィレンツェを出て行くんだ」
「日本に帰るの?」
「うん、ちょっと旅行をしてからね」

 考えてみれば、かつては毎日のように顔を合わせていた私たちだったが、卒業を前にして、いつの間にか疎遠になってしまっていた。会うのは、ほぼ1年ぶりである。話すことはいっぱいあった。私たちは、ぶらぶらと歩きながら、日本にいる同級生の近況やイタリア人の悪口など、思いつくままに話した。話題にのぼらなかったのは、お互いの将来のことぐらいだったろうか。
 郵便局のそばの五叉路にさしかかると、夕陽がまともに顔に当たってまぶしかった。近くを通る人の影がずいぶん長くなっていたのを覚えている。

「それにしても、日本人の体型はすぐにわかるわね。シルエットですぐにわかったわ」
 その話題は無視したつもりでいたのに、しつこく蒸し返すY嬢である。思ったことをずけずけ口にする性格は、イタリアに来ても変わっていなかったようだ。
「ほら、ここが安下宿。あした出ていくんだけどね。もうしばらく会えないね」
 別れぎわ、私は精一杯、雰囲気を出して言った。すると彼女は、
「でも、またすぐ会うわよ」
 と、謎のことばを口にした。ちょっとドキッとしてしまった。でも、そんなはずはない。相手はイタリアに住むつもりなのである。
 それに、またどこかで会ったりしたら、きょうの再会の値打ちが下がるというものだ。二度と会えないというのが、ドラマチックなのだ----と文学青年であった私はしみじみと思ったのである。
----そもそも、女ってのは、そんなことを口にしたがるものなんだよな。まあ、本当にまた会えたとしても20年後くらいかな。

アルノ川越しにミケランジェロ広場を望む 旧市街の西側、グラツィエ橋付近。アルノ川越しにミケランジェロ広場を望む。

撮影 : 1990/09 Firenze

 こうして、異国での奇跡の邂逅は終わったのである。そして彼女との出会いは、我が人生における甘美な思い出の1つとして、時の経過とともに美化されていく……はずであった。1年後、日本の親元でぶらぶらしている私のもとに、彼女からの電話がかかってくるまでは。
「あらあ、久しぶり。元気? 今度さあ、知り合いと新しい会社をはじめることにしたのよ……そうそう、もうずっと前に日本に帰ってきたわ。あなた、どうせヒマでしょ。仕事、手伝ってくれない?」

 こうして、その後しばらくの間、私はY嬢を上司として、会社勤めの真似ごとらしき経験をするハメになったのである。彼女が日本に帰ってきた理由は、とうとう聞きそびれてしまった。
 そして、そんな小さな会社にも、途中入社の社員が入ってきて、仕事のあとにみんなで居酒屋なんぞに行ったりする。
「へえー、お二人は、フィレンツェでばったり会ったんですか?」
「そうそう、ボクがちょうど町を出る最後の日でさあ、あのときはビックリしたなあ」
「でもねえ、後ろ姿ですぐにわかったわよ。日本人のシルエットは特徴があるから。アハハハ」
「ワッハッハ、そりゃいいや。ハハハハハ……」
 こうして、私たちの奇跡の出会いは、哀れ、飲み屋での笑い話と成り果ててしまったのであった。
 いま彼女は、まるで背中に羽の生えているような優しい男性(日本人)と結婚して、幸せな生活を送っている。





 


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