御油(愛知県)
御油(ごゆ)は東海道の宿場町で、隣の赤坂宿までは2kmたらず。明治に入ると、東海道線はかなり離れた蒲郡を経由し、あとから開通した名鉄線も優等列車が御油に停車しなかったために、開発から取り残されて昔の町並みが残されたというわけだ。実際に、平成の初めころまで、江戸時代の街道の雰囲気を思わせる家々が建ち並んでいた。
今でも古い家がところどころ残るものの、もはや旧街道があったとは想像できない。その多くが建て直され、かろうじて赤坂宿との間の松並木が昔を偲ぶよすがとなっている。
1986年12月撮影
Goyu Town, Toyokawa City, Aichi Prefecture
キャプションの数字は撮影地点の緯度、経度、撮影方向(真北が0°で時計回り)
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追分を過ぎ、音羽川を渡ってまさに御油宿に入ろうというあたり。木造の民家が並んでいたが、2019年には左端の家を除いて、すべて新しい戸建ての住宅に建て替えられてしまった。
34.842686, 137.317961
300°
1986/12(★2019/09)

上の写真の左奥にある商家。軒下の看板には、「杉原商店」と書かれている。味噌、醤油の販売店だったようだ。
34.842866, 137.317635
225°
1986/12

右から2軒目が、上の写真の「杉原商店」。2019年現在、どの家も取り壊されて新興住宅地のような雰囲気になっており、昔の面影はまったくない。
34.842982, 137.317427
135°
1986/12

上の写真の反対側(北側)を望む。旧街道の雰囲気を残す狭い道とカーブが趣深いが、すでにここの写って家屋はすべて建て替えられている。
34.843017, 137.317371
330°
1986/12

上の写真の左端に写っている家。1階正面のしゃれた意匠から、宿屋か商家のように見える。
34.843099, 137.317328
180°
1986/12

御油宿の中心部に向かう途中で、道が2度直角に折れ曲がる。街道の防備のために設けられた枡形のようなものか。その南西側にある民家。すぐそばには高札場があったようだ。2019年の訪問時にも、このお宅はそのままの姿で健在だった。
34.843614, 137.317066
240°
1986/12

旧御油宿の中心部。写真の手前側20mほどのところに本陣があったという。右の建物は「おふく餅本店」。左は、手前から「カネダイ」「伊藤屋酒店」「いがや」の看板が見える。
34.844737, 137.317565
135°
1986/12(★2019/09)

本陣跡から100mほど北上したあたり。右側の家もたいそうな旧家のようだが、すでに取り壊されている。
34.845543, 137.316708
330°
1986/12

上の写真の50mほど北にあった板壁の立派な家。出桁の上に、バルコニーのようなものが乗っているのが興味深い。何かを祀ってあるわけでもないようなので、名古屋周辺で見られる屋根神様ではないようだ。すでに取り壊されて、2020年現在は駐車場になっている。
34.845875, 137.316463
90°
1986/12

さらに50mほど北に行った御油宿の北部。右の家は、周囲を張り替えて健在。左の家は取り壊されていた。
34.846607, 137.315984
75°
1986/12

上の写真と同じ位置から北側を見たところ。カーブの先が御油宿の北端となり、有名な御油の松並木となる。
34.846541, 137.316024
330°
1986/12(★2019/09)

御油の松並木を過ぎると、まもなく赤坂宿となる。赤坂宿の南端から御油方向を見たところ。御油と赤坂の距離は東海道て一番短い。
34.852955, 137.310745
75°
1986/12

赤坂宿の「大橋屋」。江戸時代に建てられたもので、当時は「旅籠鯉屋」と呼ばれていたという。2015年まで旅館として営業していたようだが、その後に改装され、史跡として保存されている。
34.856459, 137.307437
180°
1986/12
2022年8月公開
Copyright © Takashi FUTAMURA