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![]() 尾盛~閑蔵の関ノ沢橋梁を渡る井川線の列車 1972.10 |
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| ---- 大井川の渓谷を走る ---- 大井川に沿って、東海道の宿場町である金谷から上流の井川まで、60キロあまりの路線を持つのが大井川鉄道(現社名は、「鐵」の字を使って「大井川鐵道」となっている)である。 このうち、金谷から千頭まで40キロ弱の大井川本線は、日本各地の電車のお古が走る電鉄線。 一方、千頭から井川までの井川線は、かつて井川ダム建設の資材を運搬するため、中部電力の専用鉄道として敷かれた路線である。いまでは、もっぱら観光鉄道として、付近の温泉やダム見学の乗客を運んでおり、車窓からの眺めは素晴らしい。 両線とも、線路の幅はJR在来線と同じく1067ミリなのだが、井川線は山の中を走るために軽便鉄道並みの規格で建設され、車両も小さくてかわいらしいのが特徴だ。井川線の車両や施設は、いまでも中部電力の所有で、大井川鉄道が委託を受けて運行しているのだそうだ。 この大井川鉄道に初めて乗ったのは、忘れもしない1972年10月8日夜。ジャコビニ流星群の到来によって流星雨が見えると大騒ぎになった日であった。 高校1年生だった私は、この流星雨と大井川鉄道井川線を組み合わせて、出かけようとたくらんだ。終電車で千頭までたどりつき、そこで野宿して流星を観察。明け方の井川線一番列車に乗ろうという、いま考えれば、かなり無謀な計画である。 だが、そこは若さというもの。いつものように、友人数人をひきつれて、東京駅から東海道本線の客となったのであった。 訪問:1972年10月
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千頭駅で発車を待つ井川線の一番列車。 大井川本線との接続はなく、千頭で夜明かしをしたからこそ乗れた列車である(いまは、そのような列車は設定されていない)。 加藤製作所製の8トンディーゼル機関車、DB8(または9)が2両の客車を引っ張って20キロを走破するという、いまでは考えられない編成である。 1972.10
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| もちろん、2両の客車のうち、小さくて古いほうに乗る。座席はロングシートで、向かいの人とひざがぶつかるほど。まるで、炭鉱に向かう人車のような趣だ。 どうせ、ほかに客なんかいないだろうと高をくくっていたら、なんと奥地の工事に向かうおじさんやおばさんで、あっというまに車内は満員になってしまった。 1972.10
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寸又峡温泉への下車駅である奥泉駅。ここからバスが出ている。 実は、これは帰りに撮った写真。千頭に向かう列車の先頭に、8トンディーゼル機関車が逆向きに付いている。 1972.10
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| 我々の目的地は、川面から約80メートルという関ノ沢橋梁。その最寄り駅である尾盛駅で降りようと思っていたら、なんと通過してしまった! 茫然としていると、関ノ沢橋梁の手前で停車するではないか。 あわてて降りると、工事に向かうおじさんやおばさんも一人残らず下車。そのままどこかへ消えてしまった。たぶん、近くにある工事現場に向かったんだろう……。 そして、断崖にかかる橋のたもとに我々を残し、列車は去っていったのである。 1972.10
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| 関の沢橋梁から尾盛駅まで歩いて戻ってきた。これは、朝の下り2番列車。 1972.10
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尾盛駅は、近くに人家もなく、通過も当然という風情。それでも、30年後に「秘境駅」として話題になるとは思ってもみなかった。 1972.10 |
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