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蔵出し鉄道写真館
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大阪万博と阪急電鉄 (1970年7月)


新幹線の万博記念ステッカー 北大阪急行・万博中央口駅の折り返し線
 

1970年といえば、我々の世代がすぐに思い出すのは大阪万博である。それは、1964年の東京オリンピックと同じように頭にしっかりと刻み込まれている。戦後の日本の高度成長がピークに達した時期である。

まだ中学2年生だった私は、無茶なことに級友2人と夏休みに万博に出かけることをたくらむ。まあ、自分の家族や友人の家族、そしてさまざまな人びとの世話になって5日間ほど大阪に行ったのである。

左の写真は新幹線の車体に貼られた万博のステッカー。EXPO'70ということばも懐かしい。三波春男の「世界の国からこんにちは」が大ヒットして、世の中は万博一色に染まっていた。
右の写真は、万博輸送のために建設された北大阪急行電鉄。万博中央口駅の折り返し線に停車中の車両である。江坂~万博中央口を運行する北大阪急行電鉄は、江坂で大阪市営地下鉄御堂筋線に乗り入れていた。
万博終了後は、当初の予定通り、千里中央~万博中央口が廃止となった。


万博モノレール 万博モノレール
 

この2枚の写真は、万博会場のモノレールである。
日立製作所製の跨座式モノレールで、万博会場を周回していた。本格的な設備の路線だったが、残念ながら万博の終了とともに廃線。直線的でモダンなデザインの車両も歴史の彼方へと消えてしまった。
車両デザインは、日本の本格的工業デザイナーの草分けである栄久庵憲司氏。キッコーマンの卓上醤油瓶のデザインが有名だが、鉄道車両のデザインも手がけていた。もちろん、当時は知るよしもなかったが、その後、中学生時代に図書館で氏の著作『幕の内弁当の美学』という本を読んで、こんな仕事もあるんだなあと思い、一時は工業デザイナーに憧れていたものだった。


中津駅を通過する3000系神戸線特急 中津駅を通過する2800系京都線特急
 

そして、万博と同じかそれ以上に楽しみだったのが、関西を走る私鉄をこの目で見ることだった。
まだまだ全般的に遅れていた東京の私鉄にくらべて、戦前から発達していた関西の私鉄は、中学生の目にも個性的で魅力にあふれていた。
とくに、茶色(マルーン)一色の阪急電車(当時は京阪神急行電鉄)は心ひかれるものであった。同じ茶色でも、国電の旧型電車とは違うシックな印象なんだなあ。

上の2枚の写真は、梅田と十三の間にある中津駅にて。左の3000系は神戸線の特急、右の写真が京都線の特急である。正面のスタイルは同じだが、京都線の2800系は無料で乗れる2扉クロスシートがうらやましかった。左右のほっぺたにピタッと貼りついたような、2枚の丸い表示板も以前から見たかった。


十三駅に到着する700系普通電車 十三駅を通過する2000系回送
 

実は、阪急も万博のアクセス輸送を担っていた。そのために、会場西口付近に臨時に設置されたのが千里線の万博西口駅である。
中央口に直結している北大阪急行の混雑ぶりにくらべて、西口に向かう阪急は比較的空いていた。私にとっては、阪急電車には乗れるし空いているしで、このルートが気に入った。

上の2枚は十三駅での撮影である。左の700系(716号車)は京都線の普通。右の2000系は回送車であるが、正面右側に万博の記念ヘッドマークを掲げている。


十三駅に到着する100系
 

そして、真打ち登場である。大阪に来て、ぜひ見たかったのは、梅田~十三の三複線とこの100系。これは、132号車の北千里~梅田直通電車。戦前製のこの形式は、かつての名称でP-6形ともデイ100とも呼ばれていた。
新幹線登場までは電車として最重量。京阪間をとんでもないスピードで飛ばして、大先輩の鉄道ファン諸氏の心を奪ったという。
そんな古い電車が、まさか万博輸送の第一線で走っているとは思わなかったので感激した。実際に100系に乗る機会にも恵まれたのだが、その釣掛式モーターの走行音といったら、体の芯まで響くようなシビれる低音の魅力であった。

2010年11月作成



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