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蔵出し鉄道写真館
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会津線(只見線)(1971年7月)


会津若松駅
 

羽越本線、米坂線で蒸気機関車を撮って、その日の夜に新津から磐越西線を使って会津若松までやってきた……と思うのだが記憶が定かではない。
上の写真は、翌日、会津若松駅の跨線橋から撮ったC11 351牽引の貨物列車。写真に収まっている範囲でも20両近くの貨車が連なっている。タンク車まであって、当時はこれだけの貨物列車の需要があったと思うと感慨深い。

ネット情報によると、この351号機は仙台の北にある利府の新幹線総合車両センターに静態保存されているそうだ。


会津若松のC11 会津若松のC11
 

そして、これは会津若松機関区にいたC11 178。西日を浴びて、形式写真を撮ってくださいとばかりの場所に停まっていた。
手前にスピーカー付きの低いボールが入ってしまったのはしかたがない。ちなみに、このポールには、「注意 頭上二万ボルト」という板が打ちつけてある。そう、磐越西線は交流2万ボルト電化区間なのであった。

会津線のうちの会津若松~只見は、この翌月に只見~大白川の開業によって大白川~小出の只見線と合わせて全線開通。只見線と名前を変えている。一方、会津滝の原(現・会津高原尾瀬口)に向かう会津線のほうは相変わらず。野岩鉄道が開通して東京方面に抜けることができ、第三セクターの会津鉄道になるのは、まだまだ先のことである。


会津坂下駅 会津坂下駅
 

じつは、このとき、父親の大学時代の友人が経営する芦ノ牧温泉のホテルに泊めてもらった。車で出迎えてくれたりして、丁重な扱いを受けたのはいいが、翌日は息子さんと娘さんだかが、車で猪苗代湖まで案内してくれる。本当は蒸気機関車を撮りたいのに、湖上でぼんやりとボートに乗っていた私と友人であった。

意を決して、「蒸気機関車を撮りたいんですが……」というと、驚いたように「へえ、最近はテレビで取り上げることがあるから、撮りたくなったのかな」なんて言われてしまった。まだまだ、こんな趣味が一般化していない時代である。そして、会津坂下(あいづばんげ)まで車を飛ばしてくれて、なんとか撮れたのがこのワンシーンだ。

2011年11月作成



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