トップページ
蔵出し鉄道写真館
< 前  39  次 >
京成電鉄 (1971年3月~1972年9月)


京成金町駅付近 京成金町駅
 

京成沿線の葛飾区高砂に8年ほど住んでいたこともあって、その間の変遷は興味深く見てきたのだが、なかなか当時の雰囲気がわかる写真が少ないのは残念である。
そんななかでも、たまたまカメラを持って散歩に出かけたときの写真を何枚か紹介しよう。

左の写真は、金町線(高砂~金町)が水戸街道と交差する踏切。今思うと牧歌的な風景である。現在は、道路の両側にビルやマンションが建ち並び、水戸街道を直線する車線は立体交差化されて、面影はまったくない。かろうじて踏切は残っているが、写真を撮った横断歩道橋はなくなっていた。
右は、京成金町駅に停車中の3200形。ホームの端にある小さな踏切付近から撮ったものである。


中川橋梁 中川橋梁
 

この2枚の写真は、青砥~高砂に架かる中川橋梁。現在は複々線になり、背後の道路橋も架け替えられて、だいぶ様子が変わっている。 左は旧型の青電。右は赤電。
当時は複線ではあったが、京成のほとんどの系統がここを走るとあって、日中でもひっきりなしに電車が行き来していたのは楽しかった。

手前の葦原は、今も一部が残されている。かつては、この周辺に染色工場が数多くあり、染めたあとの糊を洗い落としていたのだとか。この写真を撮った当時も、まだそれが残っていてテレビで見たことがあるのだが、さてその後どうなったのだろうか。


高砂検車区の初代スカイライナー
 

高砂には検車区(車庫)があり、公道からも電車を見ることができて、鉄道好きの少年にとってはカネのかからない散歩道として重宝していた。

この電車は、成田空港までの開通に備えて製造された初代スカイライナーAE形。「試運転」とある通り、出来立てほやほやの営業運転前の姿である。塗色も、もちろんかつての特急開運号1600形をイメージした登場時のもの。

もっとも、空港の開業遅れで宝の持ち腐れとなったり、いわゆる過激派によるAE車への放火があったりして、悲劇の車両と呼ばれてしまった。成田空港開業は、この写真から6年のちの1978年のこと。それまでは、京成成田までのノンストップ特急として使用された。


2014年8月作成



< 前ページ 39 次ページ >

■トップページ | 「蔵出し鉄道写真館」表紙に戻る■