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とりあえず写真館

陸前高田の町並み  (1993年)


駅通り商店街 駅通り商店街
 

1992年3月、一関に住む友人の車に乗って、たまたま陸前高田を通過したことがあった。そのときに車窓から見た落ち着いた町並みが気に入って、翌1993年に再訪する機会を得た。ただ、時間がなかったので、散歩したのは駅の付近とその北側にある大町あたりだけだった。
次回は東浜街道の宿場の色濃い今泉地区をまわるつもりだったが、その機会は失われてしまった。

陸前高田の方々に対する、せめてもの激励と哀悼の表現として、1993年3月当時の町並みの写真14枚を、ここに公開する次第である。

さて、左の写真はJR大船渡線の陸前高田駅前に連なる駅通り商店街。写真の手前方向に駅がある。道の左側には、平田洋品店、伊東文具店といった看板が、右側には、千葉歯科医院、和装きぬやという看板が見える。
右の写真は、その駅通りを直進して300mほど行った突き当たり。写真の左手前方向が駅である。


市神宮あたり 大原屋酒店
 

丁字路の突き当たりから、右方向を撮ったのが左の写真。写真の中央で、こんもりと木の繁っているのが、市民に親しまれてきた市神宮だそうだ。その右に見える商家が、大原屋酒店。
道を隔てた左側の建物には、ジャズクラブ ジョニーという看板がかかっている。

大原屋酒店をアップで撮ったのが右の写真。地元の酒、酔仙の文字も見える。ここから左右に大町商店街が伸びている。


大町商店街西側 大町商店街西側
 

駅通りが突き当たった丁字路を左折して200mほど進むと、左の写真の三叉路にぶつかる。突き当たりは昭和屋酒店。その右は気仙タクシーとある。三叉路の手前は食堂七福。それにしても、酒屋も食堂も必ず看板に酔仙の名が入っている。
三叉路の右、スズキの看板が出ているのが村上自転車店、さらにこの写真の枠からは外れてしまっているが、一軒おいて菊地鍍金の看板が出ていた。
右の写真の右側の店が、村上自転車店である。左側のお隣には看板が出ていない。


酔仙酒造近く 酔仙酒造近く
 

さきほどの写真の三叉路を右折した道が左上の写真。はるか奥の右側に酔仙酒造株式会社という看板が見えている。
今回、この写真を見直すまで、ここに酔仙の醸造所があるとは気がつかなかった。知っていれば、少なくともその前まで行ったのに……。地図を持たずにぶらぶら歩いた旅だからしかたがないが。

右の写真は、「大石の五本松」。1段上にある村上自転車店の少し手前(市神宮寄り)を、市神宮から見て右に曲がってすぐの場所。
*この写真の場所の特定にあたっては、陸前高田出身の「しんく」さんから情報をいただきました。

じつは、写真を撮って20年近く。駅前の写真以外は、どこでどう撮ったのかも記憶になかった。でも、そこはネットのありがたさ。写真を拡大したときに見える店の看板から、検索をしたりネット地図を見たりして、ほぼ場所が特定できた。


荒町あたりの商家 荒町あたりの商家
 

さきほどの大原屋酒店のあった丁字路を右折して直進。200mほど行ったところで道が連続して直角に曲がっているのは「升形」の名残か。さらに100mほど直進したところで撮ったのが、上の左右の写真である。
木造の立派な商家が、道の両側に並んでいる。大町商店街の続きであるが、住所は荒町となっている。
左の写真の左端の店は、看板に示されているように丸乙呉服店。店の正面で風に揺れる暖簾には、「○に乙」が染め抜かれている。

右の写真は、向かい側の家々を反対方向から撮ったもの。北国には珍しく、ガラス窓の大きい木造の建物が並んでいる。これだけガラスが大きいと、冬はかなり寒いのではないかと思うのだが。


荒町あたりの商家 くません酒店
 

左の写真は、1つ上の段の左の写真をさらに100mほど進んで、丁字路から振り返ったところ。角の建物がなかなか興味深い。また、白と緑の縞模様の信号機が懐かしい。
右は、さらに小さな川を渡ったところにある「くません酒店」。町(地区)名は川原から寒風となる。


寒風地区 陸前高田駅
 

左の写真は、くません酒店からさらに南下。陸前高田駅から北東方向に当たり、町外れといった風情である。右側の看板建築の商家には、菊地畳店と書かれているのが見える。

そして右の写真が、大船渡線の陸前高田駅と駅前広場。この駅舎も、大震災の津波で破壊されてしまった。

2011年5月作成

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