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まだ、浅草に都電が走り、吾妻橋のほとりにアサヒビールの工場があった時代。
24番の都電は、柳島(福神橋)から浅草、上野を経由して須田町に向かう。
*「下町の都電」のページから再掲 1969.12(2007.12) |
| 駒形橋のほとりから、吾妻橋と浅草松屋デパートを望む。デパートの屋上には観覧車をはじめとする遊具が並び、デパートの左側には観音様のすぐ横に立てられたスペースタワーが見える。 現在では江戸通り沿いにビルが建ち並び、外装を変えた松屋の姿もほとんど見えなくなってしまった。 *「スペースタワーと後楽園タワー」のページから再掲 1972.11(2007.12) |
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観音様の北側。かつて、少年たちが野球をし、スペースタワーが建っていたあたりである。バックの屋根は浅草神社。 「健全スポーツ・弓道場」というキャッチコピーがニクい。春の一時的な興行の一つだったのだろう。 2007年の年末に訪ねてみると、年始の飾りを売る店が店開きの準備をしていた。 1978.3(2007.12) |
| 観音様の西側、五重塔と薬師堂の間あたり。かつては、境内にもこうした仮づくりの店が軒を連ねていたものだが、確か不法占拠にあたるとのことで一掃されてしまったと記憶している。 そんなこともあってか、やけに最近の浅草寺付近は清潔になってしまった。 1978.3(2007.12) |
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上の写真からさらに東に進み淡島堂の北側、奥山に続く道。ここも浅草寺の境内の端にあたるためか、服や靴を売っていた店は立ち退かされたようだ。 「五重塔通り」は「奥山おまいりみち」と名前を変えていた。ちなみに、五重塔が再建されたのは、私がすでに浅草を離れた1973年のことである。 1978.3(2007.12) |
| 当時は、観音様からちょっと離れただけで、あの雑踏がうそのように静まり返っていた。夕暮れの道では、幼い姉弟(?)が遊んでいる。 写真左手奥の建物は、現在、大衆演劇のメッカとなっている木馬館。 1983.6(2007.12) |
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「五重塔通り」「ひさご通り」あたりは、観光コースからはずれた、まさにディープ浅草であった。 写真右手は花やしき、ひさご通り方面。左手には安い飲み屋街が続く。そして、この道を奥に進むと浅草公園六区。前ページトップの写真の場所に出る。 この男の子も、いまは人の親になっている年頃だろうか。 1978.3(2007.12) |
| 2008年1月作成 |
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