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東京 -昭和の記憶-
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タイトル 

   駿河台下や神保町には、中学生のとき以来ひんぱんに通っていたが、そこから東側にある小川町や淡路町となると、若輩者の身にはあまり縁がなかったように思う。
 当時は、スキー用品の店もなく、安い食べ物屋もほとんどなかったからだ。
 それでも、秋葉原から神保町に向かって歩いていくときには、わざわざ脇道に入り、木造家屋や古い商店を眺めながら散歩していたものだった。
 しかし、このあたりもバブル景気とともに、大きく変貌した。さらに、中央大学が八王子に移転し、日大の医学部もなくなってしまった。かろうじて、明治大学が駿河台下に残っているだけである。
 中大に行った友人が、「メシ屋に行くと、日大医学部の学生はホルマリン臭いからすぐにわかる」と、まるで大発見をしたかのように、うれしそうに言っていたのも懐かしい思い出である。

*各写真にマウスポインタを置くと、それぞれの場所の2005年の姿を見ることができます。

淡路町の加島屋酒店  神田淡路町にあった加島屋酒店。靖国通りから少し入ると、その豪壮な姿が見えたものだった。
 その後、1980年代なかばに改装。さらに2005年に訪ねてみると、この一角が周囲の建物もろとも大きなマンションに変わっていたことに驚いた。

1973.2(2005.4)

 上の写真から8年後、背後に見えるのは、これまた建築・町並み好きに知られた同和病院。昭和4年に医師会館として建設されたもので、豪華な内装とステンドグラスが有名だったそうだ。
 現在、加島屋酒店は斜向かい(この写真の右手前)に移転。同和病院は明和病院と改称して、すぐ近くの神田須田町に移転したのだそうだ。

1981.4(2005.4)
加島屋酒店と同和病院

須田町の「まつや」近く  加島屋酒店のすぐ東側。靖国通りから分かれた道(画面中央下から右に続く道)は、万世橋に向かう。
 このあたりの住所は、神田須田町になる。
「呉服の下久」の2軒先に、わずかにそば屋「まつや」が見える。「まつや」だけは、店の内外とも昔と変わっていない。

1983.10(2005.4)

桑原羅紗店 桑原羅紗店
 「まつや」からさらに数軒先に、「桑原羅紗店」のビルがあった。名前も魅力的だが、このビル自体も魅力的。

*左の写真だけは、マウスポインタを置くと中央部を拡大します。

1990.11(2005.4)

きしめんの「尾張屋」  小川町交差点にあった「尾張屋」。名古屋風のきしめんが有名だった。
 薄暗い店に入ると、片側に4人ほどが座れる長くてごつごつしたテーブルがいくつか並んでおり、その両側に据えられた長椅子に腰掛けて食べたものだった(と記憶している)。
 その後、9階建ての尾張屋ビルとなって、その1階で新装開店。しかし、2005年に訪ねてみると、「ひもの屋 網十」という店(昼はうどん屋、夜は居酒屋)に変わり、ビルもクレストビルと改称されていた。

1973.2(2005.4)

 神田淡路町23番地。このゆるやかな坂を上ると、新御茶ノ水駅、ニコライ堂、中央大学正門方面に出る。
「ローケンベーカリー」の建物がなんともいえず不思議。


1983.10(2005.4)
淡路町の坂道

 


 



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