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羽田というと、わたしより若い年代の人間にとっては、空港のある町というイメージでしかないと思う。だが、海に囲まれたこの土地は、かつて「羽田猟師町」(漁師町ではない)とも呼ばれ、伝統的な文化が残された漁業の盛んな町だったのだ。 *写真にマウスポインタを置くと、同じ場所の2008年の写真が見られます。 |
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海老取川が多摩川へ出る五十間鼻(右側)を弁天橋の上から見る。対岸の川崎市側には、いすゞ自動車の大きな看板が見える。 1982.8 (2008.11) |
弁天橋の上から、上の写真の反対側を見る。堤防は今とくらべて低く、漁船の数が多かった。川岸やビルの上に大きな看板が立っているのは、飛行機内の乗客にも見えるようにしたため。 1980.11 (2008.11) |
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こんな大きな看板が並んでいた。今では滑走路が沖合に移転したため、広告効果がなくなり、看板は撤去されてしまった。 1982.8 (2008.11) |
正面の小さな橋が弁天橋。当時はその脇に交番があった。左右に走るのが環状8号線。 1980.11 (2008.11) |
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弁天橋から空港構内に入る。当時はターミナルビルが近くにあり、たまに歩いている人を見かけたものだった。 1980.11 (2008.11) |
海老取川の対岸から空港を見る。当時は滑走路がすぐそばにあった。 1980.11 (2008.11) |
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京浜急行の鉄橋が見える。鉄橋の左側に旧羽田空港駅があった。戦前は、この鉄橋をわたって、当時の穴守稲荷参道前にあった穴守駅(現在の羽田空港構内)まで電車が通っていた。 1980.11 (2008.11) |
1991年まで、海老取川の蒲田寄り(現在の天空橋近く)に羽田空港駅はあった。空港までのバスは便数が少なく、タクシーもめったに止まっておらず、この路線を使って空港に向かう人はほとんどいなかった。 1982.8 (2008.11) |
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| 2008.11月作成 |
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