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東京 -昭和の記憶-

 
タイトル
 

 麻布・北日ヶ窪町などといっても、まず通じないだろうが、旧・材木町の南に接する町といえば少しはわかるかもしれない。いまの六本木六丁目の一部である。
 そう、2003年4月に、森ビルの手によって「六本木ヒルズ」なる巨大なビル群が建った場所である。
 1983年にここを訪ねたときは、繁華街六本木のほんの目と鼻の先に、こんな静かでこぢんまりとした町が存在するというのは本当に奇跡とさえ感じられた。
 当時のテレビ朝日本社のすぐ南にあるのだが、開発から取り残されたのだろう。わくわくドキドキしながら歩いたものだった。
 東京のあちこちにある「窪町」と同じく、周囲よりも低くなっているので、旧町名には「窪」という字がついたのだろう。その町が、なんと町ごと六本木ヒルズという巨大な建築物群に姿を変えてしまったのである。「窪」を「ヒル(丘)」にしたのも、「森」の魔術なのだろうか。
もし六本木ヒルズを訪ねる機会があったなら、その足の下にはこんな町があって、人びとが静かに暮らしていたということを思い出してほしい。

*写真にマウスポインタを置くと、同じ場所の2004年の写真が見られます。

その後、西麻布にお住まいの「ウサギ横丁のMさん」からメールをいただき、1~4枚目の写真の場所を特定することができました。ありがとうございます。以下、ご本人の承諾のもとに、内容を引用いたします。「 」でくくった紺色の部分が、「ウサギ横丁のMさん」のコメントです。


子どもたちが遊ぶ路地

子どもたちが野球をしていた路地は、ブランドショップが建ち並び、車が行き交う通りと変わってしまった。

「これは、確かではありませんが、旧六本木6丁目12番・13番付近であると思われます」

1983.10 (2005.5)


個人タクシーを営んでいた板壁の民家も、すっかり様変わりしてしまった。

「これは旧六本木6丁目12番で、ベルサーチより、少しけやき坂を下り、現在のレジデンスCの前付近です」

1983.10 (2005.5)

板壁の民家

階段の見える路地

窪地の東端。正面には階段が見える。電柱には「六本木6-11」との表示。赤枝六本木診療所は右側の建物にあった。今では警備員の姿ばかりが目立ち、なんとも居心地が悪い。

「現在のさくら坂パーキング9入り口付近から北方向です。この階段を上り左(西方向)に曲がると、上の個人タクシーの家がありました」

1983.10 (2005.5)


これは玄碩坂(げんせきざか)という坂とのこと。

「玄碩坂は完全につぶされ、この写真あたりは現在の坂と形状(方向)は異なります。
 この坂下は、通称『藪下(やぶした)』と言って、金魚屋さんの養殖池があったり、また崖下の道の側溝に湧き水があってそこで金魚が泳いでいるといったのどかな街でした」

1983.10 (2005.5)

玄碩坂(げんせきざか)

麻布十番通りの六本木寄り

麻布十番通りの六本木寄り。このあたりの風景はあまり変わっていない。この右手が六本木六丁目(北日ヶ窪町)。

1983.10 (2004.9)


六本木通りをくぐる麻布トンネル。長い間、廃墟同然の姿をさらしていた。この上にあったWAVEにはよく通ったものだった。当時、英語圏以外の輸入レコードというと、ここでしか入手できなかったのだ。近くのビルの上のほうには、チェコ料理の店なんていうのもあったっけ。

1983.10 (2004.9)

麻布トンネル

2004年9月作成


 


 



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