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東京 -昭和の記憶-
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タイトル

 

 小石川という名前を聞くと、歴史好きの人は小石川養生所や薬草園(いまの小石川植物園)を思い浮かべるかもしれない。江戸時代から名の通った町である。そして、現在の文京区の西半分は、戦前まで小石川区と呼ばれていた。
 そのなかでも、現在の小石川二丁目から三丁目南部にあたる小石川柳町や小石川初音町あたりは、隣接する旧・本郷区内の西片町や真砂町と同じく、幸いにも戦災で焼け残ったために、つい最近まで町並みに昔の雰囲気が残っていた。ここを通るたびに、いきなり昔に引き戻されたような不思議な感覚に襲われたものである。
  だが、地下鉄三田線、南北線、大江戸線の相次ぐ開通やバブル期のマンション建設によって、そんな町並みもあっという間に姿を変えてしまった。

 それにしても、柳町、初音町とは、なんといういい響き。現在の住居表示に従えば、タイトルを「小石川二丁目~三丁目」とすべきだが、今回はあえて旧町名を使うことにした。

*写真にポインタを置くかタップすると、同じ場所の2009年の写真が見られます。


善光寺坂の椋

伝通院から小石川柳町に向かって善光寺坂を下っていくと、車道の中央に椋(ムクノキ)がある。地元で生まれ育った友人によれば、この木にはさまざまな伝説があるのだそうだ。
現在では車道が一方通行となり、向かって左側は歩道となった。

1978.2(2009.3)


善光寺坂をくだり切って左折すると、小石川柳町。今の小石川三丁目の南側である。柳町という旧町名は、小学校や幼稚園、商店街の名前に残っている。

1991.9(2009.3)

小石川三丁目

小石川三丁目

旧・小石川柳町界隈は、ここ10数年でマンションとビルに埋めつくされたが、この一角だけは奇跡的に昔の姿を残している。右から4軒目の鮮魚「おきなや」は2009年も盛業であった。

1991.9(2009.3)


上の写真の右端の家が、この写真の左側の家にあたる。右側の大島洋服店はマンションの一部となっていた。

1991.9(2009.3)

小石川三丁目

こんにゃくえんま近く

「えんま商店街」を南下。江戸時代から名高い「こんにゃくえんま」こと源覚寺の直前を右に入ると、板壁の家が残っていた。

1992.3(2009.3)


小石川二丁目の上富坂教会そばに、ひそやかな坂道がある。よその家の軒先をかすめるようで申し訳ないが、散歩のたびにここを通ったものだった。

1992.3(2009.3)

小石川二丁目のひそやかな坂道

 


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