トップページ
東京 -昭和の記憶-

 
タイトル 
 

 丸の内から大手町、日本橋にかけては、言わずと知れた東京いや日本の心臓部である。大企業の本社ビルや老舗の本店が建ち並ぶさまは当然知っていたが、町並みとしてはあまり関心がなかった。考えてみれば、まだまだ丸の内にはレンガづくりの三菱のビルが何棟も建っていたはずだし、大手町や日本橋にも意匠を凝らした建物があった。
 少しでも撮っておけばよかったのだが、今になって言ってもはじまらない。それでも、中学生時代にたまたま東京駅前で撮った写真や、都電を撮ったときの写真があって、そこそこ鑑賞に耐えられるのではないかというのが今回の内容である。

 丸の内~日本橋という立派なタイトルをつけるのも恥ずかしいが、まあ見ていただきたい。今回は、珍しくカラーが中心である。都電の撮影をはじめ、別の目的でたまたまカメラに入っていたネガカラーフィルムだった。
 隣接する地域については、「有楽町~銀座」「京橋~銀座一丁目」をご覧いただきたい。

*写真にポインタを置くかタップすると、同じ場所の2014年の写真が見られます。


東京駅丸の内口

ご存じ、赤煉瓦の東京駅丸の内口。空襲による破壊の応急措置として、この形になっていた。まさか、竣工時の姿に復元されるとは思っても見なかった。高度成長期には、これを取り壊してビルにしようなんていう話まであったっけ。危ういところだった。
左奥には国鉄本社ビルが見える。日産プリンス グロリアのタクシーが異彩を放つ。

1970.7(2014.7)


中央は、皇居の北東、和田倉濠前に建っていた東京銀行協会ビル。老朽化したビルを建て替える際に、下層階の外装だけを残した。現在は銀行倶楽部となっている。右は東京海上ビルディング新館。
(新しい写真は2011年撮影。2014年7月に行ったら街路樹が生い茂って建物が見えなかったので……)

1972.8(2011.12)

銀行倶楽部

日本橋交差点西側

休日の永代通りは、交通量も少なく静かだった。西側から日本橋交差点方面を望む。
錦糸町から洲崎、門前仲町を経てやってくる都電38番は、この時点で日本橋が終点となっていた。そして、この年の11月に廃止となる。
* 下町の都電 1970年代前半(3) から再掲。

1972.8(2014.7)


永代通りと中央通りが交差する日本橋交差点。バックは東急百貨店の本店。1967年に白木屋デパートから改称された。
東急百貨店は1999年に閉店となり、その跡地に建てられたコレド日本橋が2004年に開業した。

1970.11(2014.7)

日本橋・東急百貨店本店

日本橋交差点西側

日本橋交差点から西側(呉服橋方面)を見たところ。このあたりが、当時の都電38番日本橋終点だった。
中央奥の朝日生命大手町ビルはほぼ完成に近づき、屋上にわずかにクレーンが見える。左には、櫻政宗ビルが見える。

1970.11(2014.7)


■櫻政宗ビル

酒造メーカー櫻政宗株式会社東京支店(本店は神戸市東灘区)の旧ビル。なかなか味わい深い姿だが、当時はまだまだこうしたビルはあちこちに残っていたこともあり、しっかり撮っておかなかったのが残念。

 

櫻政宗ビル 櫻政宗ビル

日本橋交差点・南側

日本橋交差点から、中央通りの南側(銀座方面)を望む。奥に見える高島屋は、今もそのままの姿で健在。
都電は、王子駅前からやってきた19番。1971年3月に廃止となる。
都電の左には、いわゆる「美濃部カラー」の都バスが見える。

1970.11(2014.7)


これはかなり時代が下ってから撮ったもの。江戸時代から続く紙の老舗「榛原(はいばら)」のビルである。周囲のビルが新しくなるなか、強烈な存在感があったので、完全な逆光であったが無理して撮った。
その後、新しいビルに建て替えられたが、日本橋再開発のために取り壊し。榛原は東側に移転した。
2014年7月現在、ここは再開発ビルの建設中であった。

1987.11(2014.7)

はいばらビル

江戸橋一丁目交差点

永代通りの江戸橋一丁目交差点から、日本橋交差点方面を見たところ。中央は東急百貨店本店。左端の横浜銀行は、現在も同じ場所で営業中
* 下町の都電 1970年代前半(3) から再掲。

1972.8(2014.7)

2014年7月作成
 

■トップページ | 「東京 -昭和の記憶-」表紙に戻る■

「定点写真でめぐる東京と日本の町並み」表紙 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』
(青春出版社)
1,550円+税
2019年10月発売!