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東京 -昭和の記憶-
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タイトル 

 窪町小学校前から、春日通りを茗荷谷駅方面に50メートルほど直進したところ。
 左側の建物は、同潤会大塚女子アパートメントハウスで、取り壊し直前には話題になったものだった。もっとも、ほかの同潤会の建物にくらべると、かなり地味な存在だったように記憶している。
 むしろ、腹ぺこだった学校帰り、この1階にあったスタンドそば屋で立ち食いをした記憶のほうが強い。

1988.1(2007.7)
茗荷谷駅近くの春日通り

茗荷谷駅  地下鉄丸ノ内線・茗荷谷駅。ホームは掘割状の場所に設置された地上駅で、地方の私鉄駅のような独特な雰囲気だった。
 駅の左側にある「教育ビル」には、本屋、レコード屋、菓子屋など、渋い店が入っていた。

1988.1(2007.7)

東京教育大学閉学  
東京教育大学閉学の告示
東京教育大学構内?
   茗荷谷駅の北側には、かつて東京教育大学のキャンパスがあった。1978年に閉学となり、この写真を撮りに潜入したときには、ほとんどキャンパスに人はいなかった。現在は、教育の森公園や筑波大学の施設などとして利用されている。 
  右の写真は、キャンパス内で撮ったような覚えがあるが、記憶があいまいである。
 
*この2枚の写真には、現在との比較はありません。
1978.3


 茗荷谷駅を越え、春日通りを伝通院方面に向かったところ。
  右にあるのは茗台中学校。左の白い建物は小石川郵便局で、その奥に学芸大付属竹早中学校と都立竹早高校が隣り合って建っている。

1984.11(2007.7)
竹早付近の春日通り

竹早付近の春日通り  上の写真の近くから、茗荷谷方面を振り返ったところ。道路のこちら側の住所は春日三丁目(旧・同心町)で、反対側は小石川四丁目(旧・竹早町)。
  それにしても、 ここを都電が走っているときに写真を撮っておきたかった……。

1984.11(2007.7)


2007年7月作成

 


 


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