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東京 -昭和の記憶-
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タイトル 
 

 芝浦からお台場にかけての湾岸地域は、今でこそおしゃれな一帯として、家族連れやカップルで賑わう場所となっているが、1970年代にはそんな雰囲気は微塵もなかった。
 芝浦は純然たる工業地帯だったので、殺風景な倉庫と貨物専用線のある風景が続いていた。大学浪人生だったある日、貨物専用線の写真を撮ろうとやってきたが、ここは趣味で訪れるには場違いなところだと気づいた。それでも最後は度胸を決めて入っていき、幸いなことに誰にもとがめられることはなかった。確か日曜日だったから、働いている人も少なかったのだろう。おかげで、枚数は少ないものの、貴重な写真が撮れたと思う。
 お台場の周辺に至っては、茫漠とした埋め立て地が広がるだけ。品川駅東口(現・港南口)から有明方面行きの都営バスに乗ると、海中トンネルをくぐってお台場の埋め立て地に出るのだが、あまりに何もなくて、写真も撮らずに帰ってきた覚えがある。元号が平成に変わってから、もう一度出直したときの写真が残っていた。  

*写真にポインタを置くかタップすると、同じ場所の2017年の写真が見られます。


八千代橋から見た東京モノレール

田町から旧海岸通りを南に向かって歩いていくと、八千代橋から東京モノレールが見える。
浜松町と羽田を結ぶこのモノレールに乗ると、まるで海の上を走っているかのように感じたものだった。
天王洲アイルができる前のことである。

1975.12(2017.4)


芝浦四丁目12番。雑然とした木造家屋が建ち並んでいた。
その後、一帯は人の行き来が増えて商店となった(下の写真)が、2016年にはそれも取り壊されて、跡地は小さな公園となった。
周囲は、かなり前からマンションと商業ビルに姿を変えている。

1975.12(2017.4)

芝浦四丁目の木造家屋

これが、2016年まであった商店。

*この写真には昔との対比はありません。

2004.8

芝浦四丁目の個人商店

古川可動橋

芝浦には、貨物列車の専用線が縦横に走っていた。竹芝桟橋と日ノ出桟橋の中間に渡されたこの「古川可動橋」(芝浦跳開橋とも呼ばれたとのこと)も貨物線のもの。 船を通すときは、勝鬨橋のように橋の中央部が跳ね上がる仕組みだったそうだ。
浜崎橋から撮った写真。中央右奥に貨車か1両見える。

1975.12(2017.4)

新浜崎橋から

「古川可動橋」があったところには、現在「新浜崎橋」が架かっている。だから、新旧対照をすると、新しい写真は上のようになってしまう。
それでは味気ないので、新浜崎橋から同じ方向を撮ってみた。この歩行者専用橋は、今は使われていない。

*この写真には昔との対比はありません。

2017.4


日ノ出埠頭の倉庫街と貨物専用線の様子。中央に貨車が見える。
この左手に日ノ出桟橋の水上バスや東京湾クルーズ船の乗り場が作られたが、倉庫の一部は現存していることがわかる。
現在、右手の倉庫の上空には、新交通ゆりかもめが走っている。

1975.12(2017.4)

日ノ出埠頭

日ノ出埠頭

上の写真から南へ300mほど。日ノ出桟橋の南端あたりから北側を向いて撮ったもの。貨車の扉が開けられて、貨物の積み下ろしをしているのが見える。
この画面ではわかりにくいが、旧写真で手前にある線路跡が、舗装された道路にくっきりと残されている。

1975.12(2017.4)


 


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