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江戸の町には、数多くの運河や掘割がつくられた。鉄道も自動車もない時代、大量の食糧や物資を大都市・江戸に運ぶには、船に頼るのが一番だったからである。 *写真にマウスポインタを置くと、同じ場所の2004年の写真が見られます。 |
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業平橋(墨田区)のほど近く、大横川にかかる平川橋から南側を望む。墨東地区の運河に材木が浮かぶ光景は、木場の材木商が東京湾岸の新木場に完全に移転した1980年代はじめまでつづいた。 1981.3(2004.7) |
同じく、平川橋から北側を望む。向こうに見える橋は、浅草通りの業平橋。 1981.3(2004.7) |
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江東区の北端、墨田区との区境近くにかかる柳島橋を渡る都電23、24系統。左奥に柳島車庫が見える。 1972.7(2004.7) |
錦糸町から1キロあまり南下すると、小名木川(おなきがわ)を渡る小名木川橋(江東区)に出る。そこから東側を見たところ。
小名木川は、左奥のマンションの向こう側で大横川と交差している。さらに奥には、越中島貨物線の鉄橋も見える。 1986.10(2004.8) |
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清洲橋通りの岩井橋(江東区)から北方向に、すでに親水公園化されていた横十間川を望む。 1986.10(2004.8) |
清澄通りの月島橋(中央区)から月島川水門方面を眺めたところ。 1970.11(2004.7) |
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