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東京 -昭和の記憶-
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タイトル 

 

 江戸の町には、数多くの運河や掘割がつくられた。鉄道も自動車もない時代、大量の食糧や物資を大都市・江戸に運ぶには、船に頼るのが一番だったからである。
 いまでも、江東区や墨田区の地図を見ると、東西あるいは南北方向にいくつもの運河が残されているのがわかる。
 しかし、東京の水辺は1980年代以降、大きく変化した。湾岸の開発はもちろんのこと、運河や掘割の一部は暗渠となったり埋め立てられたりして、周囲の風景は一変してしまったのである。
 当時から、とくに水辺を撮っておこうと思ったわけではないが、たまたま撮った写真のなかに、いまとなっては貴重な風景が焼き付けられていることに気がついた。
 そこで、今回は、「運河のある風景」という視点で写真を選んでみた。写真によって、時代に前後があるのはご容赦願いたい。

*写真にマウスポインタを置くと、同じ場所の2004年の写真が見られます。


平川橋から見た大横川

業平橋(墨田区)のほど近く、大横川にかかる平川橋から南側を望む。墨東地区の運河に材木が浮かぶ光景は、木場の材木商が東京湾岸の新木場に完全に移転した1980年代はじめまでつづいた。
現在、大横川は親水公園となって、昔の面影はほとんどない。

1981.3(2004.7)


同じく、平川橋から北側を望む。向こうに見える橋は、浅草通りの業平橋。
もちろん、伊勢物語の主人公として、隅田川で「名にし負わば、いざこと問はむ都鳥、わが思ふ人はありやなしやと」と歌った在原業平にちなんだ名前である。さらに奥には、かすかに東武鉄道の高架線が見える。

1981.3(2004.7)

平川橋から見た大横川

柳島橋を渡る都電

江東区の北端、墨田区との区境近くにかかる柳島橋を渡る都電23、24系統。左奥に柳島車庫が見える。
手前から左に流れるのが北十間川。ここから右手に別れるのが横十間川。

1972.7(2004.7)


錦糸町から1キロあまり南下すると、小名木川(おなきがわ)を渡る小名木川橋(江東区)に出る。そこから東側を見たところ。 小名木川は、左奥のマンションの向こう側で大横川と交差している。さらに奥には、越中島貨物線の鉄橋も見える。
1986年にはすでに、マンションが建ちはじめており、いまと変わらない景色になりつつあった。

1986.10(2004.8)

小名木川

横十間川親水公園

清洲橋通りの岩井橋(江東区)から北方向に、すでに親水公園化されていた横十間川を望む。
2004年にはうっそうと木が茂り、だいぶ落ち着いた風景となった。木の種類も変わったような……。

1986.10(2004.8)


清澄通りの月島橋(中央区)から月島川水門方面を眺めたところ。
晴海のモーターショーの帰りに立ち寄って撮った写真。このときはなぜか、木造住宅が並んでいたはずの月島の町並みを撮っていないのが残念である。もっとも、中学2年生じゃね……。
2004年には、周囲の建物も船もすっかり変化して、水門さえも変わってしまっていた。

1970.11(2004.7)

月島橋から月島川水門を望む

 


 



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