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| 牛込といえば、江戸時代は大名や旗本の住む武家屋敷が集中した地域で、伝統ある山の手の住宅街である。
しかし、1970年に都電13系統が廃止されてから、近くに地下鉄の駅がなく、牛込は東京の陸の孤島などと言われるようになってしまった。 一方、周辺は戦災で焼け残った地区が多く、細くて起伏の多い道が続き、昔ながらのたたずまいを残していたのである。 ところが、2000年の都営地下鉄大江戸線開通と前後して、あたりの様子は一変。あちこちで道路が拡幅され、高層マンションやビルが立ち並ぶ町となってしまった。 いま思えば、もっともっと写しておけばよかったと後悔するばかり。富久町あたりに迷い込み、「次はカメラを持ってこよう」と思ったこともあったが、結局それっきりになってしまった。 かろうじて大久保通り沿いだけではあるが、1980年代に撮った写真がこれである。 *各写真にマウスポインタを置くと、それぞれの場所の2007年の姿を見ることができます。 |
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神楽坂上から大久保通りを新宿方面に歩いていくことにしよう。ここは、神楽坂の近く、「岩戸町4番地」という表札がかかっていた。 すでに、家は立ち退いたあとだと記憶している。 現在の場所は確定できないが、住所からするとこのビルのあたりか? 1984.11(2007.2)
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| 上の写真とは大久保通りの反対側(南側)。中央が一五屋米店、右が中華料理屋、左は新聞販売所か。 2007年の撮影時には、場所を割り出すのに苦労したが、中央の一五屋ビルというビル名でわかった。中華料理店は、ワインバー「トラン・ブルー 岩戸町店」となっている。 1984.11(2007.2)
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岩戸町から箪笥町(たんすまち)に入る。右に入る道は、この先で急に狭くなる。 現在、右の道を入ったすぐ右手に、大江戸線牛込神楽坂駅の出入口が設けられている。 ちなみに、この町の名は「お箪笥もの」つまり武具を作る人が住んでいたことに由来すると聞いた。 1984.11(2007.2)
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| 上の写真の反対側(北側)。このゆるやかな坂をのぼると、いくつもの寺が見えてくる。 そして、坂下にある公衆便所は2007年も健在。交通量の多い道に面した場所で、いたすのは落ち着かないものだが、タクシー運転手は重宝しているようだ。 1984.11(2007.2)
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北山伏町。豪壮だった和泉屋文具店は、ビルの建設中なのかシートがかぶせられていた。 その向こうの正運社運送の車庫は2007年も健在であった。 1987.2(2007.2) |
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