トップページ
東京 -昭和の記憶-
page 1 2

 
タイトル 

淡路町の坂道  前ページ最後の写真を前方に進み、振り返ったところ。「ローケンベーカリー」の建物は、写真中央に当たる。
 左側が神田淡路町11番地、右側が23番地である。突き当たりの通りは昌平橋通り。
 このあたりは、駿河台からゆるやかに下る坂道が多く、単調な町の風景にいまでも変化を与えている。


1986.5(2005.4)

 神田小川町2丁目と神田駿河台3丁目の境界。靖国通りから2本ほど入った道である。
2005年に訪ねたときは、土曜日ということもあるのだろうが、殺風景になってしまったような気がする。
 電柱の「宇津救命丸」の広告だけが、以前と変わらずに残っている。というのも、この右手に宇津救命丸株式会社の本社があるからだ。


1986.5(2005.4)
宇津救命丸の本社前

神田駿河台3丁目7番地付近  上の写真から、さらに前方に進んだ地点。
 すでに木造家屋の取り壊しが始まり、かろうじて角の1軒だけが残っていた。

1986.5(2005.4)

 上の写真の地点からさらに前進し、突き当たりから左側(南側)を望む。
 写真の奥を左右に走るのが靖国通り。そして、この写真を後方に100メートルほど歩くと、中央大学があった。

1986.5(2005.4)
駿河台から靖国通り方向を望む

東京共成社ビル  ちょっとおもしろいビルがあったので、写真を撮っていたようだ。会社名が変わっていなかったので、場所がすぐにわかった。

1986.5(2005.4)

 神田駿河台3丁目にあった中央大学の南門。正門は、写真右側の道を直進して、通りを左折したところにあった。
 かつて、この写真の左側(御茶ノ水駅側)一帯は中央大学の建物が、文字通り林立していた。

1977.12(2005.4)
中央大学南門

中央大学南門前  上の写真と同じ位置から、左側を望む。この坂をのぼると駿台予備校東校舎や丸善書店を経て、御茶ノ水駅前に至る。
 この写真の真後ろには中央大学の生協があり、予備校生時代の金のないときはよくそこの生協食堂で昼飯を食べたものだった(ちょっと余裕があるときは、明治大学の師弟食堂に行ったっけ)。

1977.12(2005.4)

 


 


▲ 前ページへ page 1 2

■「よろず話」トップページに戻る | 「東京 -昭和の記憶-」表紙に戻る■