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東京 -昭和の記憶-
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タイトル 

   上野の山の北東にあたる根岸は、江戸時代、静かな田園が広がり、文人墨客の集う風雅な土地として知られていた。上の句にどんな季語をつけても、「根岸の里のわび住まい」と続ければ、そのまま風流な俳句になってしまうという話も、かつてのこの土地の様子を偲ばせる。

 根岸界隈のうち、旧下谷区中根岸町(現台東区根岸3~4丁目)から金杉町(現下谷2~3丁目)あたりは戦災にも焼け残り、旧日光街道(通称・都電通り)沿いには、かなりあとになるまで古い商家や長屋が数多く残っていた。
 川越の古い町並みが保存されて観光客の人気を呼んでいるのを見るにつけ、根岸の町もなんとかならなかったものかと思えてならない。

 また、区境を越えた荒川区日暮里町3丁目(現東日暮里5丁目)には、1999年まで同潤会鴬谷アパートメントが建っていた。この雄姿も、あわせてお目にかけたい。


*各写真にマウスポインタを置くと、それぞれの場所の2006年の姿を見ることができます。

旧日光街道沿いの商家  旧日光街道沿いに並ぶ豪壮な商家。左側がかまぼこ屋、看板の「加満ほこ」(「こ」は変体がな)という文字がゆかしい。右側は提灯屋。
 この2軒の商家は、2006年も健在。間にはさまれた建物はビルになっていた。

1983.10(2006.2)

 上の写真の左側。右端がかまぼこ屋。中央の看板建築の柳澤製袋は、外装を新しくしたようだ。
 ちなみに、このあたりの住所は根岸3丁目(旧中根岸町)になる。
1983.12(2006.2)
旧日光街道沿いの商家

旧日光街道沿いの看板建築  上の写真の場所から、通りを北上する。まさに、看板建築のワンダーランドである。
 手前の風雅な2階建てビルは、2006年も健在だった。

1983.12(2006.2)

 こちらは、通りの東側。住所は下谷2丁目(旧金杉町)になる。
 左側は、小野照崎神社。


1983.12(2006.2)
小野照崎神社の脇

食料品屋  再び、旧日光街道に戻る。トップの写真から少し南下した場所にあった乾物屋「足立屋」。
 すでに店は廃業したが、建物は昔のまま残っている。

1983.10(2006.2)

 上の写真の足立屋の北側には、大きな看板の葉茶屋「松本園」があった。

1983.12(2006.2)
食料品屋と葉茶屋


 


 



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