トップページ
東京 -昭和の記憶-
page 1 2

 
タイトル 

「超」看板建築  根岸3丁目の信号のある交差点を、西方向に入ると、こんな豪快な看板建築の長屋(?)があった。
 全長30メートルといったところだろうか。正面はもちろんすべて銅板で、左右対称のデザインが素敵。
 こんな建物は、ほかに見たことがない。

1983.12(2006.2)

 上の写真を直進すると、五叉路に突き当たる。
 この先端部分だけ、昔の「超」看板建築の名残が残っていることがわかる。
 五叉路の北側にある「手児奈せんべい」は2006年も健在だった。
 この店名は、市川(千葉県)の「真間の手児奈」の伝説に由来しているのだろうか。

1983.12(2006.2)
手児奈せんべい

「超」看板建築  五叉路から「超」看板建築の建物を振り返る。
 奥に、銭湯の建物と煙突が見える。

1983.12(2006.2)

 上の写真から、北へ約200メートル行ったあたり。木造2階建ての家が並ぶ。
 この通りの右側が台東区根岸3丁目、左側が荒川区東日暮里4丁目になる。

1983.12(2006.2)
根岸と日暮里の境

根岸と日暮里の境  上の写真の右側に入った路地から、区境の通りを見たところ。
 正面の板壁の家は、上の写真の左端に見えている。2006年も健在だった。

1983.12(2006.2)

 さらに400メートルほど東に行くと尾久橋通りに合流するが、その近くの道路沿いにあった同潤会鴬谷アパートメント。
 手元の資料によれば、建築は1929(昭和4)年。解体は1999(平成11)年とのこと。跡地は、ご多分に漏れず、高層マンションになった。
 道路側に突き出した2棟が、当時はユニークなデザインだったに違いない。

1983.12(2006.2)
同潤会鴬谷アパートメント

同潤会鴬谷アパートメント  場所は、山手線の日暮里駅と鴬谷駅のほぼ中央。
 壁に書かれた「鴬谷アパートメント」のヘタウマ(?)文字が渋い味を出している。

*この写真にマウスポインタを置くと、「鴬谷アパートメント」の文字を拡大します。

1983.12(2006.2)



 


 


▲ 前ページへ page 1 2

■「よろず話」トップページに戻る | 「東京 -昭和の記憶-」表紙に戻る■